貧血の難病を煩い妊娠出産が難しい体になるもライフスタイルの見直しと現代医療で2児の母に。自分らしいワーク&ライフを実現!/森田亜矢子(もりたあやこ)さん《ライフシフターNo.23》

プロフィール

・「子育てを学ぼう」まあどれ 主宰/子育てマーケター/Baby&Kids食育講師/マザーズティーチャー/TCS認定コーチ

東京都在住、39歳。夫、4歳長女、2歳長男の4人暮らし。

仕事優先で働く中、34歳の時に子宮外妊娠が発覚し、緊急手術、同時に貧血の難病が発覚。自然妊娠が望めなくなったが、体外受精による不妊治療を開始。仕事も休職し、食生活・ライフスタイルの抜本的な見直しを行い、2013年夏に無事、第一子を授かる。出産後は、『子どもの成長とともに徐々にアクセルを踏んでいける、自分らしいワーク&ライフバランスを実現できる働き方』、そして、『80歳になったときに、元気に孫育てを手伝いながら続けているような仕事』を模索したいという想いから、現在の”スラッシュキャリア”という働き方を選択。
日本の子育てをより良くしていくために、講師業をメインに、”子育て”をママやパパに教える仕事をしている。”子育て” に関するトレンドや情報をマーケティングし、ママ・パパがより良く子育てをカスタマイズできるようお手伝いをするのが目的。

座右の銘:自ら機会を創出し、機会によって自らを変えよ(旧・リクルート社訓)

http://www.bettermadre.com

2001年に新卒でコンサルティング会社へ入社し、その後、2005年にリクルートへ転職。以後、2013年春までマーケティングの仕事に従事しておりました。

学生のころから漠然と、「世の中に新しい価値を提供できる人間になりたい」という想いを持っていましたが、リクルートでの仕事はまさに、今まだ世の中にない価値を創造するものばかり。とてもやり甲斐があり、毎日が刺激的で、楽しく働かせていただいていました。

しかし、一方で、自分の人生の中の優先順位は、常に1位=「仕事」であったように思います。平日は出勤するための準備がギリギリできる時間に起き、朝ごはんは食べず、昼夜は基本的に外食。忙しければ昼も夜も、会社のデスクに常備していたお菓子をつまむだけ、なんていう日もたくさんありました。飲みに行くのも大好きだったので、「家では寝てるだけ」という生活。家事らしい家事はほとんどしていませんでしたし、もともと料理は好きだったのに、当時は家で自炊することは滅多になかったですね。今思えば食生活がかなり極悪でした。(^^;)

休みの日であっても仕事のことばかり考えていました。長期休暇は「日常から離れたい(≒現実逃避?)」が目的になってしまい、世界各国のリゾート地のプールサイドでビールを飲みながら寝落ちする、ということを繰り返していました。(笑)

「仕事とはそういうもの。目の前の仕事に全力を尽くすということはそういうこと」と、私自身が思い込んでいたのだと思います。同じ広告業界で働く旦那さんから、働き方について何か言われることはなかったし、ほとんど同じようなペースで生活していたので、きっと彼も似たような認識を持っていたのかもしれません。

自然妊娠が望めない体に。それを機に変えていった食生活、働き方

30代も半ばに差し掛かろうというころになって、ようやく「出産のタイムリミット」を気にし始めました。(→かなり遅かったと思います)
「いつかは子どもが欲しい」と思いつつも、常に目の前の仕事を第1優先にして動いてしまっていたので、なかなか子どもに恵まれませんでした。

当時リクルートでは、40才以上の女性は皆さん「スーパーウーマン」ばかりで、だんだん自分はそんな風にはなれないという不安が湧いてきた時期でもありました。

「子どもを授からなかったとしたら、私はどこに向かうんだろう? どんな人生になるのだろう? 目指したいロールモデルが見つからない……」という悩みを抱えました。

もし、子どもを授かることができたら、子どもの存在が、私をこの悩みから解き放ってくれるのでは? なんて、甘い期待を抱きつつ、相変わらず仕事第1の人生を送り続けていました。

34才の誕生日を目前にしたある日。朝から出血があり、「あー。今月も生理がきちゃった。また妊娠しなかった……」とブルーな気持ちで出社したのですが、その後、それが猛烈な腹痛に発展し、その日の夜の旦那さんとのバースデーディナーの最中に、冷や汗をかいている私を見て、旦那さんが救急病院に連れて行ってくれました。

それは、まさかの子宮外妊娠。

当時わたしは本当に無知で、積極的な妊活をしていなかったことも災いし、「子宮外妊娠」と言うもの自体を知らなかったのです。そのため、いつも不順だった生理がきたと勘違いし、卵管破裂の出血&腹痛を我慢してしまったため、腹部内で大量出血しており、あわや、命が危ない状態でした。

即刻、緊急手術が行われましたが、愚かな私は、「子宮外にいる赤ちゃんを子宮に戻す手術をしてくれるんだろう」と思い込んだまま、全身麻酔をかけられました。

手術から目が覚めると、家族一同、真っ青な顔だったことを覚えています。

私は卵管を片方失っただけでなく、開腹した際にもう一つの卵管も強固に骨盤と癒着していたため、もう自然妊娠は望めない体になっていたのです。
それだけでなく、異常な貧血状態であることも見つかり、その後の骨髄検査で、再生不良性貧血と骨髄異形成症候群を併発していることも判明しました。

「この貧血の病気は基本的には骨髄移植以外の完治法はなく、この病気を罹患した状態で妊娠・出産することは、母体の命にも関わることになるから、子どもを持つこと自体が難しいと思います」と医師に告げられた時、それまでの人生の中で、最も頭が真っ白になりました。

人間、ショックすぎると、思考が完全に停止するんだーということを実体験しました。(^^;)

自分の人生のことをキチンと計画せず、健康の大切さを軽視して、「そのときの欲望(?)にまかせて好きなだけ仕事をした」というツケが回ってきたような気がしました。

その後、思考が戻ってきたときに、「可能性がゼロじゃないなら、一度きりの人生だし、子どもを生むことにチャレンジしたい!」と一念発起し、体外受精による不妊治療を開始。仕事も休職して食生活・ライフスタイルの抜本的な見直しを行い、2013年夏に無事に第一子を授かることができました。

実は妊娠中は赤ちゃんに母体の血が回ることで自分自身の血が足りなくなり、定期的な輸血をし続けなければならない状態まで悪化したのですが、妊娠中に造血力が鍛えられたのか、出産の1週間後には、妊娠前よりも血液状態が良い数値に回復し、なんの治療も輸血も必要ない子育て生活が送れるようになりました。

この一連の出来事によって私の人生観・仕事観は180℃変わり、本当の意味でのワーク&ライフバランスを考えるきっかけになりました。

その後、『子どもの成長とともに徐々にアクセルを踏んでいける働き方、自分らしいワーク&ライフバランスを実現できる働き方』、そして、『自分自身が80歳になったときに、元気に孫育てを手伝いながら続けているような仕事』を模索したいと思い、現在のような様々なことを自分のペースで並行して進める”スラッシュキャリア”という働き方を選択しました。

実は旦那さんからは、「企業勤めのほうがお前は絶対に活躍できる(≒稼げる)んだから、フリーランスなんて不安定なことはやめろ。」と散々言われました。

正直、私が見据えている『80才のときにイキイキと働きながら孫育てをしている自分自身のイメージ』が、この人には全く見えていないんだろうなとショックをうけました。

今現在もちゃんと理解してもらえているのかどうかはわかりませんが(苦笑)、これまでも「LIFESIHIFTの本を読め!」とか、「あなたの方は80歳のときどんな仕事をイメージしているの?」と質問したり(→絶句です。)してきました。

心身ともに自分史上最高に健康。年を重ねるのが楽しい

私自身は、30代半ばに考えていた「自分はどこに向かっているんだろう」という漠然とした不安が消え、「学びたいこと」で満ち溢れているため、本当に毎日が楽しくて幸せです。
今までやってこなかった地域活動への参加や、幼保育園の役員などもやり、いろんな人間関係を構築することもできているので、今は年を重ねることがとても楽しいです。自分にとってベストなワーク&ライフバランスが実現できているからこそ、心身ともに自分史上最高に健康である気がします。

今になって思うのは、以前はどんなに仕事で評価されていても、「自分はどこに向かっているんだろう」という漠然とした不安があり、もしかしたらその不安を心から締め出すために、無意識に自分自身を目の前の仕事でいっぱいいっぱいにしていたのかもしれません。

「子どもたちにどんな未来を残したいか。」を軸に活動し続ける

100歳まで元気に生きるつもりなんですが(笑)、それまでに日本は、人口的な理由で劇的な変化にさらされていくことが確定していると認識しています。
「子どもたちにどんな未来を残したいか?」という問いを常に心に持ちながら、よりよい社会を自ら作っていける人を育成していくために、子どもたちや子育て中の親向けの教育的な取り組みをライフワークにしていきたいと考えております。子どもたちが私たちの未来でもありますからね!

同時に、私自身もそうでしたが「子どもを得る」ということが、ライフシフトするきっかけになりやすいと考えているので、子育て世代のライフシフトのお手伝いもしていけたらなと思っています。

新たに、学生の「子育てインターン」を受け入れる予定です。早い段階から、学生にワーク&ライフを見せながら、私自身も継続的に異世代と関わっていきたいなという想いからこの活動を始めていきます。

今後日本は、とても大きな、そして、とても急激な変革をむかえ、今までの「当たり前」が通用しない世界になっていくのでは?と感じます。
ぜひぜひ皆さんも、ご自身の機会をご自身の人生をより良く変えるきっかけにしてみてください!