自分のやりたい!と思う仕事をやり、人生を楽しむ。常にチャレンジし続けることが今後の目標/渡辺 正寿(わたなべ しょうじ)さん《ライフシフターNo.28》

プロフィール

・えんがわ商店 代表

1981年生まれ。栃木県出身、長野県在住。
横浜市の大手ハウスメーカーで3年、長野県の工務店で5年、営業担当として勤務。その後、リゾートホテルの夜勤フロント業務、有機農家のスタッフ、大工・水道設備業者の手伝いを経て、2015年3月えんがわ商店を創業。
セルフビルドパートナー/DIYサポーター/二級建築士/大工として、住まい手が自分で作ることのサポートをしながら家作り・場作りをしている。

座右の銘:自由とは責任を負うこと。文句があるなら自分でやればいい。
http://www.engawashoten.com/

23歳の時、新卒で大手ハウスメーカーのアフターメンテナンス・リフォーム工事を担当する営業担当として横浜市の会社に入社しました。社会人として右も左も分からず、ただただ目の前に現れる仕事と課題をこなしていく毎日。日々の業務に追われ、深夜まで仕事が終わらないことが当たり前の毎日でした。ただ、厳しい中でもやりがいのある仕事で、やればやっただけ成果が目に見えることは素直に嬉しく、仲間にも恵まれ、もがきながらもそれなりに楽しく仕事を続けていました。

それでもストレスが掛かる毎日。休日は現実から逃げるように自然が豊かな海や山にドライブに出掛け、ちょっといい旅館に宿泊してみたり、高級な食事をしてみたり。またある休日は同期の仲間と昼12時に新宿の居酒屋に集合で大騒ぎをし、朝まで呑み明かしてみたり。終いにはお金を使わないと休日を過ごした気がしないような気分にまでなってしまう始末。日曜日の夕方には明日の仕事のことが頭をよぎり、まさしくサザエさん症候群に見舞われました。

「自分で家を建てよう!」と思いたち物件探し。しかし現実の厳しさを思い知らされる

24歳の時、「そうだ、葉山に自分で家を建てよう!」と思い立ちました。
栃木県で生まれ育ったこともあり、都会の暮らしよりも自然の中での暮らしにフィット感を感じていた私は、「週末や休日を利用して、海の見える丘の上に自分で家を作ろう!」と考えました。
そうすることで、人生で一番と言ってもいい程に大きな借金である住宅ローンを最小限に抑え、なおかつ家作り自体を人生の楽しみにできる!と考えたからです。

休日を利用してのドライブを兼ねての物件探しが始まりました。しかし、現実は厳しかった。葉山、鎌倉、横須賀、三浦半島…古家付きの物件も視野に入れながら予算内の物件を探しましたが、金額を下げるにつれてどんどん南下。結局希望の予算で見つけた物件が、車で乗り入れ不可の立地、200段の石段を登った先に辿り着いた竹やぶの中に佇む、今にもオバケが出そうなボロボロの廃墟でした。三浦半島の南端まで辿り着いた時、諦めにも近い現実の厳しさを思い知らされました。

「自分のやりたい!と思う仕事をやり、人生を楽しもう!」と転職・移住を決意。

そんなある時、建築雑誌である工務店に心を揺さぶられました。長野県の小さな工務店。食の安全同様、建物の中の空気も安全なものにという思想のもと、徹底した自然素材による家作りを実践している工務店でした。

その思想と覚悟に魅せられた私は、二つの選択肢に迫られました。
一つは、「仕事は仕事と割り切り、自分のプライベートを大いに楽しむ人生にしよう」。そしてもう一つは、「自分のやりたい!と思う仕事をやり、人生を楽しもう!」。
私の選択は、後者でした。

転職、移住を決めた25歳。妻のお腹には第一子がいました。東京都町田市出身の妻。当時、私達二人も妻のご両親と同じ町田市に暮らしていました。
妻もご両親も不安だらけだったかと思います。今となっては思い出すのも恥ずかしいのですが、どうしてもこの仕事をしたい!と強い気持ちだった私は自分の両親や妻のご両親、兄弟、親戚などに自分の想いを綴った手紙を書きました…。

当時、アツい想いを元に勢いに任せて書いた手紙。当時綴ったことや誓いとは大いに違ってきていることが多々あるかと思いますので、もし万が一、手元に残っているようなことがあれば、速やかにシュレッダーに掛けて処分していただけると幸いでございます…。

「自由とは責任を負うこと。文句があるなら自分でやればいい」と考え起業

転職、長野県に移住後、私は自分のやりたい仕事(=天職だ!とさえ当時思っていました)に就いた訳ですが、結局その仕事も、5年で辞めてしまう結果になります。

自分で自覚している私の最大の短所は「イエスマンである」ということです。
自分より目上の相手、先輩、上司に対して例え納得がいかないことがあったとしても、それに反発し自分の意見をぶつけることができなかったのです。結局、影で文句や愚痴をこぼすだけ。そんな情けない自分に気がついたときが、第二のライフシフトのきっかけとなりました。

「自由とは責任を負うこと。文句があるなら自分でやればいい」

そう考えた私は、天職(と以前に両親への手紙にも堂々と書いていたかと…)だと思った職場を去ることを決意しました。

建築の業界を一度離れ、様々な職種を経験するなかで、“セルフビルドパートナー/DIYサポーター”という仕事のアイディアを思いつき、手探りで事業を始め、2018年3月で、創業から3年を迎えることができました。
家作りにおいて、できることを少しだけでもいいので自分で作ってみることを推奨し、プロである私達が全てを作ってしまうのではなく、プロである私達がサポートに徹することにより、「住まい手さんの想い通りの家作りを実現すること」を目指して日々試行錯誤、チャレンジを続けています。

全てがうまくいくわけでないのですが、試行錯誤をしながらもDIYで作り上げた空間を満足気に嬉しそうに眺めている住まい手さんの姿を見ると、ああ、私のお客さんは13年前の自分だったんだな…と最近気がつきました。

常にチャレンジし続けることが今後の目標

肉体面、精神面、生活スタイル、時間管理など、全てを自分の責任において自由に決めることができるようになりました。例え責任が重くのしかかるような場面があったとしても(実際に自由であればある程、責任は大きくなりますが)、イエスマンだった私にとって「自由であること」が最もストレスの掛からないライフスタイルであると実感しています。

ライフシフトを繰り返し、常にチャレンジし続けることが今後の目標です。生きることはエラーの連続、間違いだらけ。逆にエラーが無くなってしまったら、それはチャレンジをしていないということ。飽きっぽい私にとって、常に変化を望む気持ちを持ち続けることが最も効果的な老化防止策なのかもしれないですね。

選択肢は一つじゃありません。恐れはきっと選択肢の少なさから来ると思います。追い込まれるということは逃げ道がないから。決して今すぐに逃げる必要はありませんが、追い込まれた時に、もしくは追い込まれることがないように、今から選択肢を増やしておく活動や準備を始めてみませんか?