母の認知症が発覚。母との関係、育児と仕事の両立のため、ワーカーホリックから「何をしなくていいか」を行動の軸に/ 高橋 利枝(たかはし としえ)さん 《ライフシフターNo.21》

プロフィール

・会社員 シニアマネージャー

・東京都在住。48歳。現在7歳になる男の子を出産した頃、母親の認知症が発覚。母親との関係、育児と仕事の両立などを考えているうちに、「自分の人生をきちんとデザインしなくては」と目覚め、転職。現在は育児と介護のダブルケアをしながら、「何をしなくていいか」を優先して考え、通勤時間を減らすために都内へ引っ越し、在宅勤務も利用している。
会社以外の時間は、「定年後の起業」「定年後のよい環境への移住」を軸に過ごしており、休みのたびに子供と一緒に東南アジアの国々をまわる日々。移住したらどう暮らすか、自分の思うような商売はできそうか、シュミレーションに明け暮れている。

影響を受けた本:ジョン・アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」と「ガープの世界」
思春期に同調圧力のようなものにうんざりしていたが、これらの本が「個であること、自立していることの心地よさ」を教えてくれた。

30代はワーカホリックで、一日に14~15時間は軽く労働し、IT業界でM&Aに翻弄される日々を送っておりました。土日もあまり休まなかったのではないでしょうか。
仕事を一生懸命やっている中で、ある日会社がなくなってしまったり、自分でM&Aの準備実行に関わっていたり、ということがありました。今では笑っておりますが、なんともひどい世界に身をおいていたな、と思います。
そんな生活でも、たまたまアメリカ人のパートナーがみつかったのは運がよかったと思います。しかし、今思えば幸運を大事にもできなかったかなとも思っているところです。

出産や母親の認知症で、人生を自分でデザインしようと決意

出産後、比較的早くに一人で子育てをしなければならない状態になってしまいました。また、ちょうどその頃に母の認知症が発覚。母親との関係、育児と仕事の両立などを考えているうちに、「私はこんなに気がおかしくなるくらい時間がなく、生きがいの実感もないのに、人生はなぜか長くて、まるで死の行軍。枯れたように死なせてもらえることも手厚い医療のもとではないことだろう。産んだ子供にこれ以上迷惑かけるのも嫌だし、人生自分できちんとデザインもしないで、いったいどうするんだろう」と思い至るようになりました。

そして「100歳まで、どうするか決めてしまえ!」と、ライフシフトを決断。勤務先がM&Aでなくなってしまったということもありますが、子どもがいても働きやすい現在の職場に転職しました。

母方の家系は比較的長寿で、代々商売をしていました。「商売をしていたら何歳だって戦力」の家だったのですが、「祖母の時代のような、何歳でも戦力というだけのメンタルやフィジカルが私にはあるのか?いや、ない。じゃあ、どうやって子どもを養っていこうか?」と、サラリーマンである自分の内面・健康について疑問を持つようになり、健康や能力開発のために、住むところだって、世界中の中から最適なところを選んでいけばいいのではないか、と思うようになりました。

一人で子育てをしなければいけない状態になり、一番反応してくれるはずの家族がいなくなってしまっていたのですが、なにかと愚痴を聞いてくれるおばがおり、ライフシフトしてからは「真人間になったわけだ!」と大変歓迎されました。

おばは、ライフシフト前の働き方や母との関係を、何かと心配してくれていましたし、転職や働き方、時間の整理など、自分がそれまでのやり方を捨てていく間ずっと支えてもらったと感謝しています。

今、会社以外の時間は、「定年後の起業」(もう少し早くやってしまうかもしれません)、「定年後のよい環境への移住」を軸に過ごしています。7歳の息子とは、こんな話を一緒にしている戦友みたいなもので、話の合間に宿題を見たり、ご飯食べさせたりしています。「ねえ、インターネットでおもちゃやさんやるのはどうするの?」と聞いてきたりするんですよ。

「なにをしなくていいか」を優先して考える。起業に向けても積極的に活動

以前の仕事では納期商売をやっていたこともあって、時間管理に関してずっと几帳面に、「今日1日にこれを終える」と意識していたのですが、現在は「なにをしなくていいか」を優先して考えるようになりました。

通勤もできればなるべくしたくないと思い、職住接近にするために横浜から都内に引っ越し、在宅勤務も遠慮なく使わせもらっています。
おかげで肩の力がぬけたせいか、 健康で丈夫になり風邪もあまり引かなくなりました。

起業に向けては、ボランティアであったり、報酬はないけれど勉強になる仕事であったりと、会社の内外問わず多くのものを引き受けたりしています。例えば、会社では人事でないにも関わらずダイバーシティ活動を率先して行っていましたし、みんなが能力を発揮できる環境をつくろうと、就業規則の改定などを通じて少しは会社を変えてきました。
在宅勤務については、制度導入時のお手伝いをしたり、自分でもやってみて、さらにできそうな方にすすめてきたりしました。それが会社中に広がり、制度としても定着し、今では当たり前のことになったのが感慨深いです。会社に対して様々な働きかけをし、上司・同僚のみなさんや、仕事ともいい感じでお付き合いさせてもらっているのか、仕事がいやだとか、「これくらいでもいいじゃないか」と思ったことは不思議とありません。

人脈・知識・マネタイズの手法も、こういった活動をしている間に学ばせてもらったと言えます。こうした「種まき」を多くしたことと、資格を持っていることもあり、国内では放り出されたとしても何とか親子二人食べていけると思っています。
今後は国外でも同じような商売ができるのか、どうカスタマイズするか、といったことを考えるのが仕事以外の時間の課題であり、楽しみでもあります。ビジネススクール気分でもあります。

サラリーマンは「モノカルチャーで、いまとなっては危なくてしょうがないんだ」という意識を持っています。同時に、小資本・小収益のビジネスをたくさんしていくというスタイルなら食べられる、と気づきました。ですから、ホリエモンの「多動力は食べる力につなげられる」というのはその通りだなと思います。

子どもには「とらわれないものの見方」を持ってほしい。二人で移住先を偵察中

今後の目標は、「どこへ行っても食べていける小資本商売をできるだけ多く生み出すこと」です。
体力がなくなっても社会と収入とのつながりがもてるビジネスは、まだまだ作れると思っています。そして、「働けない」ではなく「働かない」にするために、働かない時期もうまく作りたいなと思っています。

今では以前よりも海外に多く行っています。子どもと一緒に休みのたびに移住先を偵察しており、この経験を通して「とらわれないものの見方」を持ってくれたらいいなと思っています。

東南アジアの国々を回っているのですが、移住したらどう暮らすか、自分の思うような商売ができそうかと、将来のシュミレーションに明け暮れています。