「いつかは海外へ」という夢を39歳で実現!単身渡米し、今ではキャリアも家庭も充実/西川ノーマン裕子さん(ロサンゼルス不動産エージェント/ライフシフト年齢39歳)

プロフィール
西川 ノーマン 裕子さん(ライフシフターNo.46)
RE/MAX Estate Properties 不動産エージェント

京都市出身、ロサンゼルス市在住、53歳。夫と2人暮らし。もともと海外志向を持ちながらも、ビジネスパーソンとしての基礎を築こうと考えリクルートに入社。仕事の面白さに充実感を感じ日々を過ごし、ふと気づくと30代後半。動くなら今しかない!と思い情報収集を開始。希望を周囲に語る中で海外転職のチャンスが訪れ、40歳を目前に渡米。ロサンゼルス在住の日本人向けフリーペーパーの編集長として活躍。現地で出会った夫と順調に暮らしながらも、日本人コミュニティの中に身をおいているだけでは本当の意味でのチャンレンジにはなっていないと思い、45歳で一念発起。不動産エージェントに転職。これからの発展に期待しながら、アメリカでのキャリアと生活を存分に楽しんでいる。
座右の銘:一期一会

https://h2nusa.com/jpn/

 

日本での仕事に充実感はあったものの、ずっとあったモヤモヤした想い

私には、昔から漠然と海外に住んでみたい、英語圏で仕事をしてみたい、という願望がありました。外国語大学に進学したのも、その願望からです。ただ、「まずはビジネスパーソンになることが先決」と考えて、新卒時には修行できそうなイメージのリクルートを選びました。

リクルート入社後は、住宅情報事業部で制作、営業、編集・マーケティングの仕事をしました。時はまさに、情報収集手段が雑誌からインターネットメディアに切り替わるタイミングで、予想以上に修行をさせてもらいましたね(笑)。雑誌の大規模なリニューアルでは商品企画の責任者として携わり、団塊世代向けのターゲットメディアでは、編集長としてリサーチ、マーケティングから立ち上げまでを担いました。

仕事は大変ながらも面白く、あっという間に30代に突入。その間、海外志向はずっと心の中にあり、時折ふつふつと沸いてきては消えて、というモヤモヤを繰り返していましたが、ついに40歳が目前になったとき、「海外に出るならば、今しかないのかもしれない」と思うようになりました。今ならば自分が元気で健康、エネルギーがある、まだ独身、早期退職制度を利用すれば資金的にも余裕がある、など条件が整っていると考えたからです。

行動を起こすことで気持ちも固まり、チャンスもやってくる

今思い返せば、ちょうどタイミング的に、何か変化を求めていたのだと思います。「どこかいい会社があれば国内転職もありかな」とも思って、ヘッドハンティング会社を通じて、2社とお話もしてみました。けれども、結果的にリクルートの会社風土や仕事のやりやすさを再認識することになり、この時点で国内での転職という選択肢は私の中から消えました。

そこから、「海外での転職はどうなの?」という自問が始まりました。日本ではある程度、どんなミッションでもこなせる自信がありましたが、世界共通言語の英語圏でもビジネスパーソンとしてやっていけるかどうか…。自分への挑戦をしたくなったのです。

私の中では、「海外=アメリカ」でした。当時アメリカに住んでいた唯一の友人は大学時代をともに過ごしたタイ人で、何か渡米の手掛かりを掴みたいと思い彼女に連絡を取りました。そして2003年12月に休暇を利用して約1週間、彼女の家に滞在し、彼女から人種のダイバーシティー、気候風土の良さ、日本への帰国のしやすさなど西海岸の素晴らしさをインプットされたのです。そこで、まずはサンフランシスコあたりに留学して英語を勉強し、就職活動をすることを心に決めました。

休暇から帰国し、さっそく渡米に向けて情報収集に動こうとしていたときに、再会したのがリクルートを退社した先輩です。私が渡米したいと思っていることを伝えると、なんとその先輩は、偶然にもロサンゼルス在住の日本人向けのフリーペーパー「Lighthouse」を発行している会社の社長と知り合い、編集長を探しているという話を聞いたとのこと!願ってもないチャンスです。すぐ紹介をしてもらうことになりました。

話はとんとん拍子に進み、約半年後に私はリクルートを退社し、ロサンゼルスへ渡ったのです。唯一、苦心したのは母の説得です。当初、母は私の渡米に反対でした。そこで、母を安心させるために、渡米を考えはじめた頃から何度も何度も話をし、「Lighthouse」に採用が決まった直後の夏には一緒にロサンゼルスを訪れ、社長や会社の人にも会ってもらって理解をしてもらいました。海外移住は家族にとっても大きな変化ですから、大切なプロセスだったと思います。

39歳で海外転職を実現。移住後もチャレンジを続けて、人生を切り開く

念願かなって渡米したのは、あと1か月半で40歳になるというタイミングでした。「Lighthouse」での仕事は編集長という立場でやりがいも大きく、短期間で日系コミュニティ内の人脈も広がりました。けれども、英語を使わなくて済む気楽さの半面で、このままでは英語の上達がまったく望めないという不安もありました。

そこで「せめて日常生活で少しでも多くアメリカ人の生活や英語に触れる時間を増やしたい」と考えて、渡米2か月後に、新聞のルームメイト募集広告で見つけたアメリカ人女性とのルームシェアを始めたのです。この行動がまた大きな転機につながります。実は、このルームメイトの女性の誕生日パーティーで彼女の弟と出会い、その後、私たちは結婚することになったのです。

パートナーと出会えたことはとても幸せなことですし、その結果日常生活は大きく変わりましたが、「Lighthouse」での仕事を続けている限り、アメリカでビジネスパーソンとして自分の力を試したいという渡米の目的は果たせません。そこで渡米から5年後の45歳を迎えたとき、「今年のうちにここを出てアメリカ人のコミュニティで働こう」と決意したのです。

ではアメリカで腰を落ち着けた人生最後の本業にどの分野を選ぶべきか。いろいろ考えましたが、やはり自分が日本で積み上げてきた「住宅・不動産業界」がいいだろうという結論に達しました。結婚を機に家を購入しようと考えて、カリフォルニアの不動産ライセンスを取得していたことも大きかったですね。それを活かして不動産の実務を勉強しようと思い、2010年6月末で「Lighthouse」を退職し、8月からアメリカの不動産会社の1つ、RE/MAX Estate Propertiesに所属する日本人エージェントのアシスタントとしての仕事をスタートさせました。

45歳で米国不動産業界に転職し、新たなキャリアをスタート

新しい仕事は、英語を使っての不動産取引の仕事です。最初の2年間、日本人エージェントのアシスタントをした後、1人で同じRE/MAXに所属をして仕事をしました。独り立ちしてからは、英語でとても苦労しました。所属しているオフィスには日本語を話せる人は誰もいませんので、細かな契約書や複雑な取引の質問を、マネージャーに英語で聞いて、回答を理解することに、最初は大変な思いをしました。でもそのおかげで、英語力は各段に伸びたと思います。それに、私にとっての救世主は何と言っても夫。不動産の業務では、電話などの口頭だけでなくE-mailでのやり取りが膨大にあるため、ライティングについてはまるで家庭教師のように助けてもらいました。

移住して約14年、プライベートでは現地の日本人の友達とアメリカの家族の両方がいて、季節ごとの行事や色々なアクティビティを楽しんでいます。でも、英語を使った仕事はまだ10年未満。仕事の面ではまだまだ発展途上ですが、現在の不動産の仕事に関るようになって、アメリカの不動産の実務知識、英語圏の人との交渉や人間関係などを学ぶことができたことは、本当によかったと思っています。また、ここ5年ほどは不動産協会の活動にも関わっているので、アメリカの不動産業界の課題や向かっていることなどに微力ながら携わっていられるということが、仕事をする上でのやりがいになっています。

今年で54歳になりますが、60歳まではこのペースで不動産の実務と協会の活動を続けて、それぞれもう一段階高いレベルで業務をしていきたいと思います。その後は、自分の住んでいるロサンゼルスのコミュニティのことや日米両方に関わる仕事やアクティビティにもう少し時間を増やしたいと思います。

海外移住は大きなライフシフトです。ただ何事もそうですが、「こうしたい」という強い気持ちがあるかどうかで、引き寄せるというか、流れが変わるものと思います。自分の心としっかり対話していくことがチャンスにつながると思います。