もっと自分らしい人生を自由に生きたい。フランス田舎町での専業主婦生活を飛び出して、パリで福祉旅行会社を起業/小仲律子さん(エトワール・サービス代表/ライフシフト年齢47歳)

プロフィール

小仲律子さん(ライフシフターNo.47)
仏法人 エトワール・サービス代表

京都府出身、パリ在住、49歳。25歳でフランスに留学し、その後家業である酒屋を継いでいたがフランス人の夫と出会い渡仏。田舎町でのんびり子育てしていたが、仕事も少なく窮屈な生活を送る。もっと自分らしい自由な人生を生きるために、そして当時、(フランスの学年で)中1・小4だった2人の息子たちにもいろいろな可能性を与えるために、夫と離れ、子どもたちと一緒にパリに移住。現在は福祉旅行会社を起業し、日本からいらっしゃる車椅子や障がいをお持ちのお客様の旅行や滞在のサポートを行うと共に、商業通訳やコーディネートも行っている。
影響を受けた本:『新約聖書』、岡本太郎『自分の中に毒を持て』

http://etoileservice.com

 

先駆的なネット販売、ワインブームの追い風で大忙しの毎日

私の実家は酒屋です。私には兄が2人いるのですが、それぞれ医師、鍼灸師。2人とも家業を継いでいません。「え!?」と思いましたが、後を継ぐのは私しかいません。そんな状況で25歳のとき、両親が「ボルドー商工会議所」に研修に行かせてくれました。

1年間の留学研修後、帰国して私は家業を継ぎました。そして、インターネットでワインを販売する形態を築きました。1995年当時、インターネットでの販売はまだまだ創成期の段階、楽天市場などもない時代でしたので、その販売方法が物珍しがられることもありました。さらに、その運営者が女性ということで注目もされ、いろいろな場所で講演させていただいたり、TVや雑誌にも出させてもらいました。ちょうどワインブームもあり、目まぐるしいほどの忙しさでしたね。

結婚を機に南仏へ移住、時間的余裕から大学に編入

しばらくすると、次第にネットバブルは落ちついてきました。その頃、客員教授としてフランスから京都の大学に来日していた仏人男性と出会ったのです。彼が私のパートナーとなり、2003年、家業は父に任せてエクサンプロヴァンスに渡りました。

南仏ののんびりとした場所は、子育てにはとってもよい環境ですが、日本の小学校との違いに驚くこともありました。例えば、親が毎朝校門まで送っていき、帰りも校門の前で待っている、遠足など校外学習のときには親が付き添う、など。子どもたちが大きくなるにつれて、私は時間的な余裕を持つことができました。そこで、名所が多い南仏地方の観光の添乗や、ヘリコプター工場に日本から研修に来る整備士やパイロットの通訳のアルバイトなどをはじめました。日本の文化イベントのボランティアもしましたね。2013年には、プロヴァンス大学の観光学科に3年生から編入し、法経の学士を取りました。フランスで学位を取ったことで、自分のフランス語に自信を持てるように。同時期さらに、タクシー営業管理者免許も取得しました。当時、時間的余裕に任せて「取ってみた」感じだったので、まさかこの免許が後々、自分の仕事で役に立つとは思っていませんでした。

可能性を求めて花の都 パリへ移り住むも、順調とは言えない日々

2003年の移住当初、「子育て中はフランスにいる」と決心していたのですが、南仏の小さな街に「日本人」として暮らすことに、だんだんと限界を感じるようになりました。そのまま地方でのんびり子育てをし、老後を過ごす、という「それなりの人生」もあったと思います。ただ、地方はやはりまだまだ保守的で、地縁のあるものが優遇されるという風潮が根強く残っています。何のご縁もない我が家ですので、それは子どもたちにとっても、よほどの非凡な才能がない限りは浮かばれないことだな、と思いました。もちろん、どこに暮らそうとも悩みが尽きないことは分かっていたし、金銭面や生活環境の変化に不安がなかったわけではありません。それでも、暮らしの場所をリセットすることで得られるものがあると信じました。そして2015年、研究職の夫は南仏に残り、子どもたちと私の3人で、500km離れたパリへと引っ越したのです。47歳の時でした。主人はこの決断を面白がっていましたよ。研究者ということもあって、どこか浮世離れしたところがあるせいか、「帰ってくる場所はあるから、いつでもどうぞ」といった感じでしたね。

でも、思い描いていたような暮らしは待っていませんでした。私は日系企業(運輸業)に就職したのですが、一週間経った頃にその体質がとても古風なことに気がつきました。当初の契約内容にはなかった業務まで担当させられることになり、3ヶ月でダウン。病欠などを繰り返し、1年後には退職しました。さらに、引っ越し当時中学1年生と小学4年生だった息子たち、特に長男が学校に馴染むことができず不登校に。そして何よりも忘れられないのは、引っ越してきてすぐに起こった、パリでの同時多発テロです。こんなにも上手くいかないものか、と落胆しました。

テロの逆風に負けない、「旅行中の不便」を解消するサービス提供

病欠していた間に独立や起業について考えはじめ、サイトを作るなど少しずつ準備をしながら、2016年に退職しました。フランスでは、どんな小さな仕事をする場合でも簡易個人事業主のような税制的なカテゴリーが必要なので、退職後すぐ、私は個人事業主となりました。しかし、テロの影響からパリへの観光客は激減でしたね。来仏客と言えば、中国人のマスツーリズムの爆買いツアーだけ。失業とテロ不況という逆風の中では、足掻くほどに空回り。自分の力だけでは到底無理だと割り切って、声のかかるアルバイトは全部しましたね。小さな食器のセールス、食品試食のバイト代理、空港送迎のアシスタントなど。それから、職安からの紹介で障がい者関連の資格を2つを取得しました。1つは障がい者運輸(タクシーの営業管理者と介護タクシー)の資格、もう1つはハンディキャップツーリズムというフランス全土にある観光設備がどの程度障がい者向けに作られているかを審査する審査員資格です。この資格取得に関心を持ったのには、私自身の原体験があります。それは、親族がフランスに遊びにきたとき、車椅子での観光地めぐりに困難を感じる場面が多かったことです。言葉の不安も車椅子の不安も感じずに、石畳のパリ旅行を楽しんでいただきたいと、とても強く思いましたね。巡礼地モンサンミッシェルも、ベルサイユ宮殿も、実は車椅子でスイスイ回ることができるのです。これは、乳母車でも同じです。せっかくの旅行中、車椅子や乳母車を使っての移動で旅行者の方が困ることを無くしたいと思いました。

そして、パリに来て2年後の2018年、ようやく起業。車椅子や障がい者の人のための旅行会社「エトワール・サービス」を立ち上げました。渡仏前、日本ではワインを売っていた私が!?と自分でも驚きますね(笑)。

会社のサービスは、大きく2つ。
1つは、日本からいらっしゃる車椅子や障がいをお持ちのお客様の旅行や滞在のサポートをすること。滞在時の福祉対応車の手配、車椅子ルートのご案内、車椅子の貸し出しから、滞在ホテルの見取り図まで、ご要望があれば手配しておきます。

もう1つは商業通訳やコーディネート。日本酒や日本食材のプロモーションのお手伝いをさせていただいています。

求められる形を提案する、それが私の仕事のスタイル

起業してようやく1年、まだまだ仕事の量は少ないです。ですが、「仕事は天からのさずかりもの」という想いで、携わっています。会社の本来の仕事は福祉旅行ですが、通訳やコーディネーションといったサービスも、お客様が必要とされるときには担わせていただきます。必要として声をかけていただけるうちが花、お仕事をいただければどこへでも参ります。

まだまだ収益を上げられてはいませんが、勤め人をやめたことで子供との時間が持てるようになり、子どもたちと話す機会が増えました。子どもたちと一緒に夕飯を食べること、これが私の毎日の決まりです。たまに守れないときはありますが、高校を卒業すれば家を出るかも知れないと思うと、生活のなかで一番大事にしたい時間です。このような時間設定を自分でコントロールできることが、起業という形で仕事をする一番の収穫かな、と思います。

とは言え、会社を大きくすること、これは絶対に達成したいタスクです。車椅子の方の旅行はどうしても普通の旅行よりも高価になってしまいますが、もっと一般化すれば価格を抑えることができ、普通の値段よりも少し高い程度か同等程度での旅行が可能になると思っています。そのようになるまで、私自身頑張りたいですし、パリに来られるアジア圏のお客様をおもてなしできるように、日本クオリティのおもてなしサービスをウリにできるような会社にしたいと考えています。日本と比べるとフランスも高齢化が進んでいるにもかかわらず、社会保障制度がしっかりしているせいか高齢者サービスが充実しているとは思えません。なので、いずれフランスのおじいさんおばあさんにも喜んでもらえるサービスを提供したいですね。

ライフシフトに関して何よりも大事なのは、体力だと思います。私もまだまだこれからなので偉そうなことは言えませんが、たとえ夢見た生活が送れなくても、そこに咲く花は必ずあります。